3.11から7年が経ちました。
当時の私は大学生で、あの時は姉とともに自宅に居ました。
こたつで二人でウトウトしていた所、急に今まで感じたことも無いほど大きな地震。
「なんか大きいね」
「ね」
しかし、いつまでたっても止む気配が無く、
パソコンの上のスピーカーは落ちるわ、本は落ちるわ、今までに体験したことのない揺れでした。
「もしかして世界が終わってしまったんじゃないか」
本当に、そう思いました。
「ねえ、これ、外出たほうが良いんじゃないの?」
と半泣きで、揺れている中外にでようとする姉をこたつの下に押し込み、一人で避難経路の確保を行ったことを昨日のように思い出します。
三半規管が二人共弱いので、地震揺れで酔ってしまい、そのままこたつでグロッキーになっていました。
母はこたつの中で眠る二人の姿を見て心底安心した、けど脱力した。と言っていました。
近くのショッピングモールからは黒い煙が出ていて、テレビから流れる映像はどこか非現実的で
津波に飲み込まれていく人たちが映し出されていましたが、「ああ、逃げて、逃げて」と思わず声をかけていました。届くはずもないのに。
番組は全て震災関連の特番、CMは全てACに。
全てが異様で、世界が一日にして変わってしまった、と思いました。
当時は近くのショッピングモールでアルバイトをしていましたが、天井にヒビが入り、3ヶ月ほどで「もう余震もこないだろう」と思い、店長が天井の修理を依頼して、1ヶ月もしないうちに再度大きな余震でヒビが入った。
他の店舗でも同じようなことが起こり、修理しなくなったのを見て「本当に大丈夫かな」とハラハラしていました。
数ヶ月後、大学でTOEICを受けましたが、会場が5階でした。試験時間が終わる15分前、また地震が来ました。
ざわめきが広がり、「3.11の襲来じゃないか」と脳裏によぎりました。
5階だったので揺れも酷く、試験が再開されても「また揺れるんじゃないか」と記書きではなかったことを覚えています。
次の年、2月〜3月にかけてニュージーランドに留学に行っていました。
3月11日、ニュージーランドでも日本の3.11特集がされていました。
その時も、あの時と同じ津波に飲み込まれていく人々が
ホストマザーが「oh...no...」と静かに声を上げ、「大丈夫?辛いなら消すけど」と私に優しく声をかけてくれました。
「大丈夫だよ。当時も思ったけど、現実なんて思えないよね。映画かなって思ったよ」と返し、彼女もそれに同意しました。
私にとって、3.11はそういう思い出です。
まだ7年、もう7年なのか。
太刀打ちの出来ないほど巨大な災害を前にして、私たちはどう立ち向かうのか。
それが起こることを防げないのであれば、
私たちは起こることを前提に行動し、起こった時にどう対応をするのか。
自分たちの持つITという技術をどう役立てていくのか。
奇しくも私は今、そういう仕事に関わっています。
この技術が、(起こってほしくない)次に役立つように、準備をしています。
どうか、震災で亡くなられた全ての魂が安らかでありますように。
震災で大事な人を亡くし、傷ついた全ての人が少しでも傷が癒えますように。